コラム『カシオペイア』(アーカイブ)第9号
公園は都市の肺
桜井義維英
2020.6.7
5月21日の朝日新聞「天声人語」の記事です。
都市の公園ができたきっかけはコレラだったそうです。
そして、欧州では「公園は都市の肺である」と言われていたということ。これはいい得て妙だと思いました。
そう言えば…肺のことご存知ですか?
肺を動かしているのは何だと思いますか?
心臓を動かしているのは筋肉です。それも、不随意筋という、自分の意思では動かすことができない筋肉です。
腕や脚の筋肉とは違う種類の筋肉ですね。腕や脚の筋肉は自分の意思で動かすことができますものね。
しかし、肺には、その不随意筋もありません。
肺は、横隔膜や肋骨の間にある肋間筋などが動いて、肺を膨らませたり、縮ませたりしているのです。
「公園は都市の肺」…心臓ではなくて肺というのはまさにいい得て妙だと思いませんか?
肺そのものがそこにあるだけでは、機能しないのです。
公園も、そこに作って置いたから機能するというものではないのだと思うのです。
例えば、落ち葉掃きや草刈りをしないといけません。
遊具の点検や整備もしないといけないでしょう。
このように、公園を健全に動かすためのには、まわりの住人や会社の人たちが協力していく必要があるのではないでしょうか。
もう一歩踏み込んで考えてみます。
「プレイパーク」はご存知ですよね。泥んこ遊びなどができる公園です。
プレイリーダーという指導者が常駐し、子どもたちの面倒を見ます。同時に、公園の管理もするのです。
プレイパークだけでなく、都市の公園も、プレイリーダーのような人材がいて、公園の遊具の点検や整備といった安全管理をしつつ、子どもを見守るということができたらいいですよね。
もちろん、そのリーダーが、時々ちょっとしたイベントなどを開催して、地域の人たちや、子どもたちとともに楽しく過ごすことがあってもいいと思うのです。
今、このコロナ禍で自然学校の新しい形を考えなくてはいけない時、行政と協力して、このような公園指導者を制度化し、子どもたちを安全に楽しく過ごさせる役割を果たしたらいいのではないかな、と考えています。
地方へ行くと、そのような公園の必要はほぼないと思います。八ヶ岳には、そのような公園はついぞ見かけません。都市化された街には、どれくらいの公園が必要なのでしょう。そんな都会の公園で、子ども達を楽しく過ごさせる公園指導者がいるようになるといいですね。
それが、もしかすると、都市にある自然学校の新しい役割なのかもしれませんね。
2020年5月27日記
桜井義維英