コラム『カシオペイア』(アーカイブ)第84号
何して遊ぶ?
桜井 義維英
2021.12.22
国際自然大学校日野春校で始めたキャンプに『いつ来ても、いつ帰ってもいいキャンプ』というものがあります。
「子どもが一人旅をする」ということを考えて始めたキャンプです。
国際自然大学校日野春校の最寄り駅は『日野春』と言います。
ですから、日野春校と名付ました。住所は塚川なんですけどね。
この日野春駅は、各駅停車しか止まりません。そして、集合のために指定する列車は、この日野春駅からふたつ先の小淵沢駅どまりです。すなわち、万が一降り損ねても、出迎えのスタッフは長坂駅、小淵沢駅の2駅ををチェックすればいいわけです。
出発時に見送るご家族が子どもを列車の最後尾に乗せてくれれば、スタッフが日野春駅で、ピックアップできるというわけです。
この、一人旅をさせるキャンプですが、いつ来てもいつ帰ってもいいので、毎日のように参加者が入れ替わります。そのため、何日間かを区切ったキャンプの流れを作ることはできません。
そうなると、毎日毎日が勝負になります。
子どもたちは、前の晩に「明日何して遊ぶか」を、みんなで話し合って決めることになります。
大人が何をするかを決めて与えるのではなく、子どもたちが相談して、みんなで何するかを決めるということにしたのです。
今なら違う方法も考えられたかもしれませんが、当時は、みんなで同じことをしようということで、相談をしてもらいました。
相当揉めましたし、リーダーの腕の見せ所でもありました。
キャンプに来たら、どんなことがしたいのでしょうね。
夏ならば、川遊びがダントツの人気プログラムでした。今もそうなのでしょうか?
川遊びといってもいろいろありますよね。タイヤチューブでの川下りとか、滝つぼへの飛び込みとかでしょうか?
どれも、道具が必要な川遊びとなります。
と言うことは、準備された遊びということなのです。
さて、今の子どもたちは、どうでしょう。
ひとりで遊ぶことを好むのでしょうか?
それも、 何か道具を使って遊ぶのでしょうか。
それとも、道具なしで、自然のものを使って遊ぶのでしょうか。
みんなで遊ぶことを好むのでしょうか?
それも、 何か道具を使って遊ぶのでしょうか。
それとも、道具なしで、自然のものを使って遊ぶのでしょうか。
それとも、何か与えてもらわないと、動かない・動けないのでしょうか?
すなわち、私たちが遊びを作ってあげないと遊べないということです。
さっきから何が言いたいのか、と言われそうですね。
子どもが、「自分で何をして遊ぶかを考えることができるようにしてあげること」が大切なのだと思うのです。
遊びが、自分たち自身の学びに変化していくときは、きっと、自分たちで遊びを作り出していく時なのではないかと思うのです。
でも、もしかすると、その一番大切な学びの部分を、大人がやってしまっているのではないでしょうか。そうです。プログラムを作るということは、遊びを作り出すということですから。
かといって、子どもたちに、やみくもに「自分たちで自分たちが何して遊ぶかを考えてごらん」と言っても、きっと立ち往生でしょう。
しかし、みんなで一緒に、何して遊ぶかを考えることこそが、学びへの第1歩なのだと思うのです。
みんなで遊びを作り出すことこそが創造的活動となります。
そして、その遊びのルールを作り、みんなで合意すること。それこそが、社会のルール作りや、そのルールを守るということの体験になるのではないでしょうか。
しかし、それを今の子どもたちにいきなりしろと言っても、立ち往生してしまうとしたなら、どうしたらいいのでしょう。
そこで私は、ルールの決まった遊びは提供しないけれど、遊ぶための材料を子ども達に提供してはどうかと考えました。
すなわち、『道具が用意され、ルールの決まった遊び』と、『何もないところから、自然の中から遊びを作る』という両極の中間点を作り出そうというわけです。
例えば、たくさんの竹を山積みにしておくとか。
しかし、竹だけで遊べるとは思えません。竹で遊ぶために、子どもたちが欲しがるような、のこぎりや紐を、そっと用意しておかなくてはいけません。
例えば、製材の木っ端を山積みにしておくとか。
しかし、竹と同様に、のこぎりや錐、金づちや釘も、そっと用意しておかないといけません。
そっと用意しておく…というのは、子どもたちに「こんなものない?」と聞かれたときに、「あ~それ?たまたまあるよ!」と答えるのです。
例えば、落ち葉を山のように集めて積み上げておくとか。
例えば、キャンプ場に降った雪を1か所に山のように積み上げておくとか。
例えば、間伐した木を丸々一本、転がしておくとか。
用意しても、子どもはそれらに興味を示さず、違う遊びを始めてしまうかもしれません。それでも、そんな材料をキャンプ場のそこかしこに転がしておくことが、必要なのではないでしょうか。
No.1 ロッキー
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
「何して遊ぶ?」は本当に大切なテーマであり、遊びを学びにしていく方々の命題であると思いました。大人がサラリーマンとして会社に雇われ、自分の住むエリアから離れて、基本週5日8時間働き出したのは、いつからなのでしょうか。戦後?もうちょっと後?なんだかそのあたりから、子どもの遊ぶいろいろな環境が狂い始めてきたのかなー、平成に入ってからそこが顕著になってきたのかなー。
大人が地域から離れるに連れて、子ども達の外遊びが減ってきたのかなーと推測しています。つまり、子どもたちを見守る目(大人の目)が減ったので、何か本能的に子ども達の外遊びのレベルが下がってしまったのではないでしょうか。ガキ大将がいなくなりました。でも、ガキ大将は味噌っかすを経てガキ大将になるので、急にはガキ大将になれない。
櫻井さん達、先輩達が60年前にその危機を感じ取り、ガキ大将の再育成が始まりました。きっと、そこそこで子ども社会のガキ大将が出始め、ガキ大将が代替わりする流れが生まれてきていると思います。
僕も本当にミニマムな働きですが、自分の子ども達や一緒に遊ぶ子ども達の子ども社会を練り上げるサポートを密かにやってきました。小学生以上の子ども達、今では弁当持って集合し、夕方に帰ってきます。長男は後2年で中学なので、どういうふうに世代交代をしていくのか、これからが楽しみです。
その中で、おそらく一番良かった環境は、森のようちえんで過ごした日々だったと思います。今は3番目と4番目の子が通っています。大人が手をかさない、常に黒子でいてくれるので、森のようちえんの子どもたちは、本当によく自分たちで遊びまわります。なんでもないことで笑い転げています。森のようちえんは重要だなぁとしみじみ感じます。遊びの本質を彼らから引き出してくれます。
身体を動かして遊ぶことは、それ自体が学びでもあるけど、学ぶ意欲を高めてくれると思います。僕の息子は、10月から近所のオルタナティブスクールに通い始めました。まだ遊びの中で学びの意欲を高めているのか?ほぼ机に座って勉強していません。これからどう変化していくのか、それともこのまま遊び通すだけなのか、観察が楽しみです。
とにかく365日遊びつくす!その環境を作ってあげたい2022年です。
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