コラム『カシオペイア』(アーカイブ)第54号
生き物を飼うことと教育
白井 健 (NPO法人 千葉自然学校)
2021.5.12
先日、知人からひよこを3羽譲っていただきました。
私の子ども達も6歳と3歳になり、「生き物を飼ってみたい」と言うようになり、ちょうど良いタイミングでした。早速庭に小屋を作り、ひよこたちを入れてあげました。子ども達は毎朝庭で散歩させたり、エサをあげたりとよく世話をしてくれています。
鶏の好物は虫であること、3羽一緒にいる方が安心すること、大きくなると羽の色が変わってくることなど、日々発見の連続のようです。
そうした中で、30年ほど前の私が子どもであった頃、父が同じように小屋を作り、私のために鶏を飼ってくれたのを思い出しました。多い時には、10羽ほど飼っていたように記憶しています。雄鶏もいて、朝4時頃には鳴き始めていたのを良く覚えています。
飼っていた中で起こった、思い出深いエピソードもいくつかあります。ある時、庭に放し飼いにさせていた鶏を、小屋に入れ忘れてしまいました。次の日、夜の内に猫に食べられてしまい、悲しい思いをしました。
また、卵を産んだ鶏がしっかりと温め、ヒヨコが孵ったことに感動もしました。生き物と過ごすことで生活の中にちょっとした楽しみや感情の動きがあったことを思い出します。
さて、ここで鶏を飼うということは、子ども達にとってどのような教育的効果があるのか考えてみたいと思います。
様々な教育的効果があると思いますが、私がとりわけ感じているのは、鶏などの家畜動物からは、「食べることは命をいただいている」ということに気づくきっかけをもらえることだと思います。子ども達に、「いつも食べている唐揚げは鶏のお肉なんだよ」と伝えてみました。
目の前にいる生き物が、食べ物になるという変換はすぐにはできないと思いますが、この繋がりが少しずつイメージできてくるのではないでしょうか。
続いて、「このひよこも大きくなったら食べてみる?」と問いかけてみましたが、今のところ食べず自然に死ぬまで飼うそうです。
「食べることは命をいただいている」という気づきには、実際に鶏を絞め、精肉して食べるところまで体験できるとなお良いと思いますが、子ども達とはよく相談が必要ですね。
生き物を飼うということは、命が生まれ、育ち、死んでいくというプロセスを、テレビやパソコンの中ではなく、体験的に学べる貴重な機会だと考えます。飼う生き物にはどのような環境を用意してあげれば良いのか、生き物の寿命はどれくらいなのか、死んでしまった後はどうなるのか、これらの疑問はWEB検索などを使えば一瞬で解決し、ただの知識として頭の中に残ります。
一方で、実際に生き物を育て、生き死にに直面するなど、自分の身を持って体験したことは深く記憶に刻まれ、生き物との関係や自然の摂理などへの本質的な理解や学びとして残っていくものだと思います。この本質的な学びを得るためにも、直接生き物と向き合うことが必要なのだと思います。
今、世界的にSDGs(持続可能な開発目標)が掲げられ、個人レベルの生活から企業の経済活動まで、細かな行動目標が設定されています。その内容も貧困、福祉、教育、気候変動、エネルギーなど多岐にわたります。地球の限りある資源を、人間の経済活動でどのように、どれくらい使っていくべきかということもテーマの一つとなっています。
規模が大きすぎて何から手を付けてよいのかわからなくなるかもしれません。
しかし、生き物を飼うということや自然の中に身を置いてみるということは、持続可能な社会を目指す上で有効な体験になるのではないかと思います。先にも述べましたが、本物の命や自然に直接触れ、その形、感触、匂い、音、味を直に感じることで、命には限りがあるということや、人間も自然の一部であることを学べることが大事なのだと思います。
そうして、地球上に存在する自然資源には限りがある、人間ができることには限りがある、自分もいつかは死を迎える時が来るということを、自分ごととして理解することができれば、持続可能な社会を作る人材になってくれるのではないでしょうか。
コロナ禍で、自然と人との距離が離れてしまいがちな状況だからこそ、これからますます自然体験活動指導者の役割が、重要になってくるのではないでしょうか。
白井健
(NPO法人 千葉自然学校)