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未定稿小説『奥山村物語』

未定稿小説『奥山村物語』2

2020.3.8

今日は天気も良く、夏休み明けはじめてのプールの日です。

寛太君は少し暖かいプールサイドを歩いていて、そんな忘れかけていた武夫君との思い出がふっと思い出されました。武雄君と行った、あの川での思い出です。

(あの石はどうしてあんなに熱かったのだろう。今日も、こんなに天気がいい。なのに、プールサイドのコンクリートはあの石みたいには熱くなってない…。)

なんて考えていたら、先生の笛が鳴りました。みんな揃って体操をして、そして、みんなで、ゆっくりプールに入っていきました。

そこでも、寛太君は気が付きました。

(この水は、川の水とは違う。薬臭い。わかってる、塩素だ。でも、川にはそんなものはいっていない。でもきれいだったよな。川の方がよかったな…)と、ちょっと思いましたが、それも一瞬のことで、あっという間に、みんなと、遊ぶことに夢中になってしまいまいた。

しばらくすると先生の笛がまたなりました。休憩の時間です。みんなプールから上がります。

みんな何となく休憩していますが、寛太君は、プールサイドに寝ころびながら、(あ~あの河原の石は気持ちよかったな~)と、空を見上げていました。(空も広かったしな~。)

プールが楽しくないことはないのですが、夏休みの川遊びのことを思い出してしまうのでした。

しかし、先生の笛が鳴って、またプールに入ると、そんな川のことは忘れて、夢中に友達に遊ぶ寛太君でした。

そんな風にだんだんと、武雄君とのことも、田舎でのことも忘れていったのです。



1章2節

東京で、・・・陽子は友達で旅行社の福田に相談する

そんな夏休みから、9カ月…寛太君も小学4年生になってしばらくのときです。

陽子さんは思い立って妹の節子さんに再び電話しました。

「もしもし、節ちゃん。あたし。陽子。今度の夏休みも、寛太を預かってくれないかしら。今度は少し長くして10日ぐらいどうかしら。仕事は何でも言いつけてくれていいから。少ししごいてやってほしいの。ねえ、いいでしょう。ニワトリの世話でもさせてやってよ。」

陽子さんは編集の仕事が忙しいのでした。夏休みだって、世の中がお盆休みだとか言っていてもそうはいかないのが現実なのです。だから、寛太君が家にいると困るというのが本音なのです。

しかし、最近はそれ以上に本気で寛太君の育つ環境に危機感を持つようになってきたのです。

死んでしまったカブトムシを、買ってもらったデパートのおもちゃ売り場に「これ壊れちゃった」と持っていくこともたちの問題をまるで他人事のように記事を書いていた自分の息子がまさか同じような反応をするとは思ってもいなかったから…。

雑誌の取材を兼ねて、田植えのイベントに寛太君と出かけたときのです。

田んぼに入った寛太君が「うぇ~、気持ちわりー。何この泥きったね~」と、叫んだのです。

白い靴下を履いて入ったのですが、そこについた泥を見て叫んだのでした。

節子さんはショックでした。しかし、周りの子どもたちも口々に気持ち悪いとか、汚いとか、叫んでいました。

そしてもっと不安になったのは、お父さんやお母さんも、そ~ね~と言っていることでした。

食べ物を育ててくれる土を汚いと感じ言葉にする子供たち。

それに何の不自然を感じない大人たち。

陽子さんはふと、これって、何かおかしいんじゃないのかしらと思ったのでした。

世の中全体が、変な方向に動き始めているのかもしれないと感じたのです。


本当は、ゆっくりと仕事を休んで、寛太と一緒に田舎で過ごしたいところですが、そうもいかない訳です。

しかし、同時に、彼の自立のためには一人で行かせるのもいいかと考えていました。

すると節子さんは、

「いいところに電話くれたわ。ちょうど去年の夏の話を武雄君のお母さんとしていたところなの。寛太君が来ることはいいわ、引き受ける。でもね、条件があるの。」

「え、な~に?」

「1人じゃなくて、10人ぐらいで来てほしいの」

驚く陽子さんをしり目に節子さんは続けました。

「去年電話で話したでしょう。こっちに来ても、寛太は武雄君とテレビゲームばかりしているって。それじゃそっちにいるときと変わらないと思うのよね。姉さんの期待に応えられないし。でね、この前ね、福田さんがきたの。それで、彼がね、近いうちに仕事辞めて何か、キャンプの学校とかいうのを始めたいんですって。で、今年はその練習をしてみたいって言ってたのよ。だったらここでやったらって。姉さん所の寛太君も来てるし、寛太君の友達やなんやら少し集めて、実験的にやってみたらって、話したの。そしたら、すごいその気になったの。きっとそっちでもう動いていると思うわ。」

「なるほどそういうことだったのね。わかったわ、じゃあ、福田さんに相談してみるわ。」



その福田さんは、旅行社に就職して10年が過ぎていました。

福田さんは、陽子さんの大学時代の同窓生です。

そして、節子さんも交えて、大学時代にしんちゃん子ども村なる、子どもたちが地方の民宿で過ごす信用金庫のイベントのリーダをしていたことがありました。

夏休みの、アルバイトも兼ねていました。

長野の山の中で20日間近く、2泊3日で来る子供たちを、全部で5団、出迎えては送り返します。

毎年そのバイトを繰り返した福田さんは大学4年のときにはなんと、村長として、その子供たちの受け入れの責任者までしていたのでした。

そして、大学を卒業してすぐに海外のキャンプに行って勉強もして来ていたのです。


卒業後も、波多野姉妹との交流は続き、彼女たちの故郷の奥山村に遊びに行ったこともたびたびありました。


そして、福田さんは、子ども村のようなものを仕事としてできないだろうかと、ぼんやりと考えていたのでした。

残念なことに、しんちゃん子ども村は福田さんが卒業するのと時を同じくして終了していました。

そのために、福田さんは、夢を実現する具体的な方法も見つからないまま、とりあえず、就職をしたのでした。

しかし、その就職は、将来ののことを考えて旅行社にしました。しんちゃん子ども村のときに、バスの手配などを請け負っていた会社です。

中堅の旅行社で、社長さんともすっかり顔なじみになっていた福田さんは、自分の夢を社長さんに正直に話し、3年たったら独立させてほしいとお願いしての就職でした。

就職をした理由はもうひとつありました。

大学の先生に、独立をする前に、一度は社会人の経験をした方がいいよと言われていたのでした。


今の仕事は充実していますし、決して、不満があるわけではありません。しかし、仕事をして、若い人たちや、家族連れに旅行の手伝いをすればするほど、彼らを、もっと自然の中で、楽しませてあげたいという思いが強くなってくるのでした。


しかし、就職して早くも10年

3年の約束で就職したのに、踏ん切りがつかないまま、10年もたってしまっていました。

そしていまだに、具体的にどんなふうにキャンプの学校を作るかは、はっきりしませんでした。

そんなときです。

週末、なんとなく奥山村に遊びに行って、陽子さんと、寛太君の話を節子さんから聞き、これだ!思ったのでした。

ここでキャンプの学校の第一歩を始めようと。


福田さんは、糸口が見つかると、行動は早かったです。

まずは何人か、専門の人たちに話を聞こうと、知り合いの大学の先生に相談に行きました。

M大学の千代田市のキャンパスにキャンプをしている松永先生です。

松永先生は、福田さんが大学生のときに、キャンプのリーダー講習会で先生だった人です。

それ以来、時々お会いしています。そして、先生自身も子供のキャンプを夏休みにしています。


「先生、やっぱり俺、キャンプの学校みたいなことしたいと思っているんですが…」


ということで、福田さんは、陽子さんとの話や、奥山村のことなどを松永先生にお話ししました。


「なるほどね。気持ちはわかるよ。福田君。でも、食えないんじゃないかな? それを仕事にしようというのは、ちょっと難しいような気がするんだよね。私もキャンプで飯が食えたらと思ったけど、結局こうして大学の教員をしながらキャンプしてるんだよ。」

「わかります、でも、ヨーロッパやアメリカではちゃんと職業として成り立ってますよね。」

「う~ん確かにそうだが…」

「もう会社にも進退伺出しちゃったんです。」「え、もうそこまでしちゃったの? またおもいきったね~ そこまで覚悟決めたなら、応援するしかないね。」

「じつは、今、千代田市の教育委員会から、今までのキャンプのやり方を少し考えたいって言ってきてるんだ。手始めに一緒に考えてみるかい?」

「ありがとうございます。それと、実は奥山村の友人から、そちらに子供連れてきてキャンプのようなことしないかともいわれているんです。」

「そうか…じゃあ、千代田市の子どもたち連れていくかい?」

「はいちょうどいいです。頼まれている子供も、運よく千代田市に住んでいます。」

「じゃあ、今の千代田市のキャンプの話をしておこう。そのうえで、新しいキャンプの計画を福田君が作ってくれるかい?」

「はい、わかりました。」

「どんなキャンプ学校をしたいんだい?」

「夏休みに子供たちを集めて…」

「でも、それだけじゃ、やっていけないだろう? 日本の夏休みは短いし。」

「夏休みだけじゃなくて、冬休みも、春休みもしたらどうでしょう。」

「う~ん。しかしね、教育委員会も同じようにキャンプをしているからね。それもとっても安い金額でね。」

「そうですね~」

「ただね、その教育委員会のキャンプも、問題が多いし、限界にきている感じはしているんだ。」



松永先生は今までの千代田市の子どもたちのキャンプのことを話してくれました。


すでに、十数年の歴史を持つ『千代田市子どもキャンプ』は、千代田市教育委員会が実施しています。

夏休みに、子供たちが、2泊3日で群馬県の嬬恋村のキャンプ場で過ごしています。

小学校3年生から6年生までの100人と、大学生のリーダー10人と教育委員会の先生が10人それと看護婦さんが1人で行われています。

集合場所で、班分けの発表があって、10人1グループで、お世話係のリーダーがひとりつきます。

バスも、そのグループごとにまとまって乗るのです。

お見送りのお母さんたちは、とっても不安そうな顔で、子供たちを見送ります。

中には涙ぐんでいるお母さんもいますが、子どもたちはケロッとしたものです。

バスの中は、大騒ぎです。そうこうしているうちに、嬬恋のキャンプ場に到着というわけです。


最初の日はテントを張ってご飯を作れば、もう真っ暗になります。

テントの建て方や、ご飯の作り方は、リーダーが教えてくれたり手伝ってくれます。

しかし、やはり、悪戦苦闘です。

テントは、黄色い屋根の形をしたテントです。床の布と壁の間から外が見えてしまって、ちょっと怖いです。虫とか入ってきそうです。

テントを立てたら、荷物をテントの中に入れて、入り口で蚊取り線香をたきます。

そうしておいて、今度はご飯作り。

そう、飯盒でご飯を炊いて、大きなお鍋でカレーを作ります。

班ごとにするのですが…硬いごはんだったり、スープのカレーだったり、みんな大騒ぎです。

でも、みんなでワイワイガヤガヤ食べるご飯は、おいしいです。と、言うより、おなかがすいていたら、何でもおいしいのですね。

夜は肝試し。スタッフは子供たちを驚かせることに命をかけているのではないかと思うほど用意周到。洋服ケース3っつもの衣装や小道具を持ち込んで子供たちを脅かすのです。

子供たちは、もう泣き叫んでいます。

夜は、そんなことだからなかなか寝付かない。そしてホームシックが続出します。

看護婦さんは大活躍というわけです。


2日目は朝ご飯は、まだ、少し薄暗いうちから準備を始めます。

サンドイッチを作って食べるのですが、ご飯も炊きます。おにぎりを作って、山登りのときのお昼ご飯にするのです。

山登りは1日がかりです。帰ってくるとまたご飯を作ります。夜はトン汁です。飯盒でのご飯もだいぶ上手に炊けるようになりました。

ご飯が終わると、待ちに待ったキャンプファイヤーです。

みんなで歌を歌ったり、リーダーがする劇を見て、大笑いしたりです。そして最後は花火大会です。みんな大盛り上がりです。

夜は、テントの中で、ひそひそとお化けの話をしたりして楽しみます。


3日目はテントをたたんで、帰る途中で温泉に入って、帰るのです。


帰りのバスの中では、子供たちばかりでなく、リーダーも先生方も、疲れ果てて眠りにつきます。