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コラム『雑記帳』

1983年国際自然大学校設立当初より発刊していた機関誌『OUTFITTER』に寄稿していたコラムです。
現在、機関誌『OUTFITTER』は、廃刊となりましたので、WEBにて、コラムを書き続けています。
現在は月1回、1日に更新しています。

第399号『畑仕事は教育の教科書』

2024.7.1


私はあまり、学術書とか、技術書とか、手引書とかを読まないタイプだと思います。
絶対に読まないというわけではないのですが。
どんな本を多く読むかといえば、小説だとか、偉大な人の書いた本とか、講義録とかかな…。

多分、直観を信じる方なのだと思います。
ですから、分析とかはしません。
結果として、早すぎることをしてしまったり、的外れだったりもします。
しかし、懲りないタイプなので、へこたれずにいろいろ頑張ります。
結果、いくつかあたりもあります。下手な鉄砲数うちゃ当たる…かな。
まあ、効率の悪い仕事の仕方なのかもしれません。

以前からお話ししてきたことですが、本を読むよりも勉強になるのが、畑仕事です。
いつ、何の種を、どれくらい撒くのか。
芽が出て、大きくなってきたら、間引かないといけません。
いかに育てるかを考え、こちらの苗か、あちらの苗かを選ぶのです。
子どもを育てるときには、あちらの子、こちらの子を選ぶようなことは、絶対ありません。
しかし、この子が、絵を描くことと、鬼ごっこをすることを迷っていた時、一緒にどちらかを選んであげることはありますよね。
もちろん本人が選ぶのですが、その手伝いをしてあげたり、選んだ後、応援をしないといけないのではないでしょうか。
選んだほうが「本当に選んでよかった」と思えるように応援するのです。
「この苗を選んでよかった」と思えるように、一生懸命その苗の面倒を見るわけです。
その子が選んだ方を、一生懸命応援するというのはこのことです。
信じるしかない、絶対大丈夫!と思えるように応援するのです。
水をあげたり、草をむしったりを、一緒にするわけです。
水をあげるのは、情報を提供してあげるということかな。
草むしりは、障害を取り除いてあげること。
いやいや、草むしりなどしないで、雑草と競争して育てるのもいいのだろうかとか、考えるんですよね。どうしたらいいか、いつも一生懸命考える。

育ってくると、わき芽を欠かないといけない。
まさに、よそ見するのを抑えないといけないということです。
いやいや、そのまま、育ててみたらとか、やっぱり一生懸命考えるのですね。
そんな風に、どうしたらいいかをいつもいつも一生懸命考えます。
去年と同じように、というのは、通じないと思います。
でも、去年と同じように、が通るかもしれない。
しかし、漫然と毎年同じようにしていたら、きっといつかはうまくいかなくなってくるように思うんですよね。これも一生懸命考えます。

もうひとつは、草むしり。
草刈り機で、ガ~ッて刈ってしまうと、効率はいいのですが、草むらを一気に刈り払ってしまうわけです。
その一本一本にも命があって、ましてや、その草むらの根もとにはいろいろな生き物の暮らしがあるのです。
そんなこと何も気づかずに、ガ~ッて刈ってしまう草刈り機。
しかし、ある程度の広さを刈るには、とっても助かることは認めます。
ところが、この草刈り機だと、草はもちろんのこと根本の生き物の命も奪っているかもしれません。
手で草むしりしていると、ともすると、一本一本に話しかけていたりします。
お前は何という名前だっけ? とか
お前は大きくなったら、どうなるの? とか、
お前は木みたいになるから、悪いけど小さいうちに抜いちゃうね。 とか
そして、根元から現れたミミズなんかは、土に戻してあげちゃう。
極めつけは、草むらに生えてきた、シソなどは残してあげて、隣のアカザは抜いてしまう。えこひいきだよな~。人の身勝手だよな~。と思いながら。でも、そうしないと収拾がつかなくなってしまいますから、ごめんねアカザ。とつぶやいたりしています。
子どもを選んで抜くなんていったらまずいけど、一本一本に目をやって、できれば、名前知ってあげて、その周辺の環境も知ってどう育てるかを考えてあげないといけないよな~と考えます。
その周辺の環境って、日本では日本の環境がありますよね。
外国の教育法がもてはやされて、導入されていたりしますが、その教育法はやはり、その国の環境と連動していると思うのです。
だとしたら、ぼちぼち、日本の戦後の教育をきちんと検証して、「いいところはいい」「課題はこう解決しよう」と、日本の環境に合わせた教育法を作り上げないといけないと思うのです。
草むしりをしながらこんなこと考えています。
畑仕事、侮り難しでしょう?