日本を、支える人材、けん引する人材、を育てる

コラム『雑記帳』

1983年国際自然大学校設立当初より発刊していた機関誌『OUTFITTER』に寄稿していたコラムです。
現在、機関誌『OUTFITTER』は、廃刊となりましたので、WEBにて、コラムを書き続けています。
現在は月1回、1日に更新しています。

第391号 『植物を育て、人を育てる』

2023.11.1




今回の雑記帳は、ちょっともがきました。
何を書くか考えようと、畑にふらっと出ました。

すると、スティックセニョールという枝が伸びるブロッコリーが、伸びて花をつけそうです。
今日の昼は、スティックセニョールを茹でてサラダにしよう!と思い、摘み始めました。
ビニールハウスの換気もしないといけない。
でないと、ハウスの中に、撒いた種がちゃんと育ってくれないから。
トマトはもう終わりましたが…なぜか、最後の一つ二つが、まだ色づいてきます。
採ろうか採るまいか、前に立って悩みます。もう少し待った方が完熟するかな~と思ったりしています。

と、ついつい、無心になってというか、夢中になって、次から次へと考えてしまいます。

物は言わなくても、生き物を相手に、対話まではいかなくても、語り掛けるというか、思いを巡らせてしまっています。

そして来年の春に向けて、畑をどのように耕すか…藁を撒いてすきこんだ方がいいかなぁとか。
作っておいた堆肥を掘り起こして、撒こうかとか。
いつ頃までにしないといけないかな。あまりのんびりしていると、地面が凍りだすからな。
やはり、そんな風に思いを巡らしています。

植物は、言葉を発しない分、こちらが思いを巡らせてあげないといけないので、一生懸命考えてあげないといけません。土に関してはなおさらです。

思いやるというのでしょうか。
察してやるというのでしょうか。

しかしこの思いを巡らせるということは、ことのほか楽しいものです。
楽しいと思える自分がいます。
ですから、ついつい夢中になってしまいます。

そんな思いを巡らせていて、あ…いけない いけない、雑記帳の原稿を考えていたんだと、我に返り玄関に戻ってきたとき、ふと気が付きました。
この思いやる、思いを巡らせるということは、人を育てることや、組織を成長させるためにもとても必要なことだと。
というわけで、今回はその『思いやる』『思いを巡らせる』というお話をしましょう。

組織は人で成り立っています。
もちろん人を育てるということは、相手が人です。
植物と人とでは大違いだろうと言われるかもしれません。
人はちゃんと喋るし、表情にも出る。こちらの語りかけも聞ける。
植物とは大違いでしょう。と、言われそうですね。

しかし人間とは、大事なことを、なかなか口にできないときがあるものです。
誰かに話せば、案外解決するものであったり、気が楽になるものですが、それがなかなか言い出せないでいるものなのですね。
また、身近にいる者の意見ほど、「なんでそんなこと言うんだよ」と、反発することがあります。ま、親父の小言というやつですね。
さて、そんな面倒くさいのが人間なのです。
いかに日々の行動や、所作振る舞いに気を配り、声にならない声を聴いてあげることができるかが大切です。
そしてそれは、誰にでもできることではないと思います。
そのような思いやることができる人が、人を育てるときには必要だと思います。
どのような組織でも、大きくなる組織、しっかりした組織には、必ずやそんな人物がいるものです。

しかしこの人物の配慮は、今、このときの組織には、必要のないものなのかもしれません。
しかし、10年後の組織を見るとき、その人物の思いやりや、思いを巡らせたことが、支えとなるのです。
人材が育つには、それほど年月がかかるからです。

以前からお話ししていることですが、そんな思いやりや、思いを巡らせたとき、そうなんだ~と思うだけではだめです。
その時いかに、気配り、目配り、手配りするかなのです。
もちろん、あえて何もしないという手配りもあります。
何もしないというのは、情報を漏らさないように手配りするということでもあります。
そのためには、どれだけ相手のことを思いやるかが大切になります。
自分のことよりもまずは相手のこと。
それは利他の精神と言えるかもしれません。

植物を見るとき、こちらの都合は考えてはもらえません。
こちらが忙しくても雨は降ります。日も照ります。気温も上がったり下がったりです。
相手に合わせて、自分の都合をも調整するぐらいではなくてはなりません。

これが、人を育てるということなのだと思っています。