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コラム『雑記帳』

1983年国際自然大学校設立当初より発刊していた機関誌『OUTFITTER』に寄稿していたコラムです。
現在、機関誌『OUTFITTER』は、廃刊となりましたので、WEBにて、コラムを書き続けています。
現在は月1回、1日に更新しています。

『リサイクルを考えました』

2022.9.1

川崎の住まいは、マンションの9階です。
新築で購入したのですが、すでに40年になります。
老朽化してきているので、水道管を全部張り替える工事をすることになりました。
何かトラブルがあったわけではなく、管理会社の計画的な修繕です。
共有部分の工事は、毎月払っている管理費の積立金で賄われますが、私有部分、すなわち玄関ドアから居住スペース側は、私費で工事をしなくてはいけません。
もちろん、工事をするかしないかは持ち主が決めることなのですが、やはり心配ですよね。というわけで、工事をお願いしました。
1週間かかります。そして、寝室の押し入れの奥に水道管が通っているとかで、押し入れの物は全部出してくださいと言われました。
その間は寝室では寝られないので、リビングでの寝起きになっています。
まだ工事は始まっていないのですけどね。押し入れの物を出し始めたら、寝室にあふれかえって、寝るところがなくなりました。
40年暮らしていると、そんなに物を買う方ではないと思っていても、たまるものですね。
押し入れですから、特に衣類が、出るわ出るわ…。
「あ~これ、こんなところにあったのか~」とかね。
「こんなもの持ってたかな~」とか。
こんなに色々なものを持っていたのかと、感じます。
気が付かないうちにたまっているというか、使いきれないでいる自分がいたわけですね。
まだまだ、物に支配されているな~と、つくづく反省しています。
一枚の洋服を、もっと、とことん使い込まないといけないと思いました。
そんなにたくさんの服はいらない。最低限の服を大切に、そして、長く、着続けるようにしないといけない。
そんな風に感じました。
しかし悲しいことに、すでに着ることができない服もたくさんあります。
え?どうして着れないか?…はい、お察しの通りウエストが入らないのです。
もちろん、再び洗濯して着ることになった洋服も少なくありません。
さて、この着れなくなった膨大な洋服をどうしようかと、妻が、大汗かいて整理してくれました。
そしてリサイクルの方法も調べてくれました。
皆さんならば、メルカリとかに出品されたりするのでしょうが、ちょっとそこまでは、テクニックがありません。
まず、市の生活環境事業所というところで、衣類を引き受けてリサイクルしてくれるということでした。
まずはここに古着を持ち込みました。
また、少しですが、あわせて処分しようということになった、家電や、まだ着ることができるスーツなどはリサイクルショップに持ち込むことにしました。
近所と言っても車で10分ほどのところです。
「これは引き取れません」と言われたものもありましたが、大半の物は引き取ってもらい、ましてや、200円もお金を頂戴しました。ちょうどガソリン代ぐらいですかね。
査定をしてもらっている間の待ち時間に店内をそろ歩く仕組みのようです。
そして、思わず、何か手にしてしまうのですね。
世の中、こうやって、リサイクルが商売として成り立っている。
悪いことではないと思います。しかし、リサイクルできるから、次から次へと新しいものを買ってもいいと思ってはいけないと思うのです。
その新しいものを作るために、エネルギーや、資源は間違いなく消費しているのですから。
リサイクルもいいけれど、やはり、大切に使い続けることを考えなくてはいかないと思います。
普段はいていたズボンの裾が擦り切れて、仕事では着ることができなくなったものを、農作業用に履いています。
しかし、ひざが擦り切れてしまいます。
他の擦り切れたズボンの裾などで膝あてをして、はき続けます。
それでも、お尻とかが次から次へと破れて、いよいよはけなくなると、雑巾になります。
最近の私のズボンの一生です。
相当頑張って使い続けていると思います。
やっぱり物を大切にするということは、大切なことだと、言わなくてはいけないと思います。
そして、物を大切にできる生活を考えていかなくてはいけないとも思のです。