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コラム『雑記帳』

1983年国際自然大学校設立当初より発刊していた機関誌『OUTFITTER』に寄稿していたコラムです。
現在、機関誌『OUTFITTER』は、廃刊となりましたので、WEBにて、コラムを書き続けています。
現在は月1回、1日に更新しています。

『自然に死んでいく体験活動』

2022.8.1

薬を飲んでいます。
今は朝に3種類の薬を飲んでいます。
錠剤を6錠。
何の薬かは、あまり詳しくは申し上げませんが…長年この雑記帳をお読みいただいているからはお分かりと思いますが、ひとつは痛風の薬です。
この痛風の薬ですが、時々変わります。変わるというのは、いい薬が出てくるということなんですね。
おかげさまで、発作もほとんど出ることが無くなっています。
薬もどんどん良くなっているんですね。

若い時は、年寄りがいくつもの薬を飲むのを見て、歳はとりたくないものだな~と思っていたのですが…気が付いてみれば、自分がいつの間にか、いくつもの薬を飲むようになっていました。
今、私の父は、92歳なのですが、やはり毎食何錠かの薬を飲んでいます。
先日、父のかかりつけの医者に話を聞いたところ、この父の飲んでいる薬のうち、どうしても飲まなくてはいけない薬は、1種類しかないそうです。
あとは体調を整えるというか、結構気持ちの問題のようです。
だから、1回ぐらい飲むのを忘れても問題ないとのことでした。
でも、夕食後の1種類は、忘れないようにとのことでした。

しかし、父も母も尊厳死の宣言をしているので、もし何かあっても、管をつけないことになっています。
私自身も、その方がいいな~と思っています。

今飲んでいる薬も、もう少し年齢を重ねたら、だんだんと増えていくのでしょうかね。
でも、ある程度の歳になったら、逆に、だんだんと薬の数をお医者さんと相談しながら、減らしていくことを考えるのもいいのではないかと思っています。

日本の医療は、良かれと思って、どんどん進んでいきますよね。
しかし、それによって医療費はどんどんかさんで、結果、年寄りはもとより、国民の医療費負担は、間違いなく増えていくことでしょう。
そうなると、その負担額が上がっても払える人だけが治療を受けることができ生き永らえられるということになっていくでしょう。
これって、究極の格差社会ですよね。
同じ病気になっても、生き永らえることができる人はお金持ちで、お金がない人は死ななくてはいけない社会は、間違いのような気がします。
資本主義社会って、それが正解なのでしょうか?
民主主義ってそれをよしとするのでしょうか。

確かにそうなるのも仕方がないと思います。

しかしここで、違うといえるのは、富める人が、貧しき人に手を差し伸べるという教育を行き届かせることも、資本主義社会の大切な要素なのではないでしょうか。

そして、もうひとつ感じるのが、現代社会で新たに埋もれた大切な要素があると思うのです。
それは自ら、人生の終末を選び取っていく力をつけることです。
いつまでも生きようとするのではなく、自然な死を受け入れていく力を持つ必要があるのではないでしょうか。
でないと、現代医療は下手をするとどこまでも命を延ばすことができそうです。
それを求めるのではなく、自らの人生を自分で自然に終えていく力を持つ必要があるのでしょう。
それができないと、人口爆発となってしまいます。

自ら死ぬこと、をするのではないです。
自然に衰えていき死んでいくこと、を受け入れるということです。

私は以前から、自然体験というのは、自然の中で自然な体験をすることだと申し上げています。

そのような意味では、自然体験活動の最後の体験は、死を受け入れる体験ということなのかもしれないと思います。
しかし、勇気がいるというか、心の準備がいることです。
そのような、準備をする体験活動が、今の日本には必要なのかもしれません。
若い時からそのようなことを考え、準備をする。
もちろん、その時期を生き抜いてきた私のような者にも、現実的な準備をする体験が必要なのかもしれません。
準備というよりも、心を整える活動といった方がいいかもしれません。
私の年齢だから考えることができることかもしれないと思います。
考えていこうかなと思います。