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コラム『雑記帳』

1983年国際自然大学校設立当初より発刊していた機関誌『OUTFITTER』に寄稿していたコラムです。
現在、機関誌『OUTFITTER』は、廃刊となりましたので、WEBにて、コラムを書き続けています。
現在は月1回、1日に更新しています。

第398号 新しいノートを導入します

2024.6.1


大学で少しだけ授業をしています。
そこで学生と話したのですが、授業で出た課題のレポートを何とスマホで書くというのです。
パソコンのキーボードを打つよりも、スマホでのフリック入力のほうが早いというのです。キーボードよりキーが少ないし予測変換してくれるかららしいです。
なるほどな~。
私などは当初、パソコンにキーボードでローマ字入力ができるだけで感激したのですが。
もうついていけないな~と、痛感しました。

小学生はタブレットで勉強をしています。
文字を書く練習もタブレットでしているようです。
私も、タブレットにメモすることもありますが、ペンや鉛筆の感触とは全く違います。
だとすると、私がタブレットに違和感を覚えるように、子どもたちは紙に書くことに違和感を覚えるようになるのでしょうね。
紙に手書きをしないまま、大人になった人が、どんな思考をするようになるのか、不安を覚えます。
でも、昔、筆を使わなくなった時、やはり同じように先人たちは不安を覚えたでしょう。
しかし私たちは何とかやっています。
次の世代の人もなんとかやっていくのでしょうね。
そしていずれは、紙がなくなる。
まあ、本当に紙がなくなるのかどうかは、とても疑問ではありますがね。

そんな風に、なんだかんだで、色々な考えたのですが…
突然ですがノートをやめようと思っています。
ノートに書くことを勧めてきた私が、いよいよ手書きをやめるのかと思われるかもしれませんが、そうではないのです。
逆にもっと気軽に手書きをどんどんするようにしたいと思います。

私たちはきちんと、紙に書くことを続けて、後に続く人たちにその素晴らしさや大切さを伝えるようにしなくてはいけないと思います。

ちょっと話が変わりますが、
八ヶ岳の我が家には、カレンダーが4つあります。リビングに大判のものと、細めのもの。寝室に大判のものがひとつと、母の寝室にもひとつ。計4つです。
このカレンダーはすべて、月めくりです。すなわち、毎月4枚の紙が捨てられるというわけです。
A4の紙にすると10枚ぐらいになります。
全部裏は白いのです。

この辺でお分かりですよね。
色々なところから届く通知文書や、資料など、まだまだ紙がたくさん送られてきます。

特にお役所からの文書は紙が多いです。
何かの届出書類などは、紙で出さないといけないものとなると、その書き方とか、なんのためにとか言う解説文。そして提出の書類と返信用の封筒が、セットで入ってきます。
解説文と書き方の紙は、提出してしまえば、その時点で廃棄となります。

デジタル化というのは、いったいどこの話でしょうかね。
紙がなくならないかもと思うのは、こんなところからです。

例えば、ハガキで説明の文章が来て、そこにサイトのURLとかQRコードが書いてあって、そこにアクセスすれば、書類が提出できるようにするなんて、いかがでしょう。
スマホとかパソコンが扱えない人には電話番号書いておいて、そこに電話してもらって、その人にだけ文書を郵送するとかね。

話がわき道にそれてしまいました。
そんなわけで、裏の白い紙がどんどんあふれてきます。
捨てるのには忍びなくて、ためて、メモ用紙にしていますが、とても使いきれません。
これからはノートの代わりに、この裏紙を使うことに決めました。
ノートのように、束としての保存がなかなかできないのが課題ですが、まずはクリップで止めて束ねておくことにします。
サイズはA5にそろえることにしました。
普段はクリップボードでどんどん書きます。
なんでもかんでも書き留めることにします。
ノートよりも気軽にいろいろかけていいかもしれません。

ただ問題は、この書いた紙の束がたまっていくということかな。
整理に、デジタル化をもくろんではいますが、なかなかうまくいかないです。
色々なアプリを考えていますが、帯に短したすきに長しです。

しかしこれもいずれ解決されていくでしょう。

紙に書けばいいのか、タブレットとかでメモをする時代になるのか。
私たちはちょうどその境目の世代にいるのだと思います。
「オッケーグーグル」とか、「ヘイシリ」とかいって、メモを取ってもらったりする時代ですからね。
そのうちレポートも、こんな風にしゃべって書く時代になるのでしょうね。

そんな時代だからこそ、私たちは一生懸命に考えて、チャレンジしていかなくてはいけないのだと思います。
守ることにもチャレンジして、新しいことにもチャレンジして、きちんと次の世代に、『こういう方法と、こういう方法があって、私たちはこの方法がいいと思うよ』と、ちゃんと提示しつつ、強制はしないで、若い世代にその選択をゆだねなければいけないと思います。