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コラム『雑記帳』

1983年国際自然大学校設立当初より発刊していた機関誌『OUTFITTER』に寄稿していたコラムです。
現在、機関誌『OUTFITTER』は、廃刊となりましたので、WEBにて、コラムを書き続けています。
現在は月1回、1日に更新しています。

第385号 『卵の殻は生ごみか、燃えるごみか?』

2023.5.1



先日、新聞を読んでいてあれっ?と思ったことがありました。
ゴミの分別収集が進んでいますね。その分別はどんどん進んでいます。
卵の殻は生ごみではなく、可燃物になるのだそうです。
何故なのでしょう。
私が子どもの頃は、ご近所の植木鉢に卵の殻が伏せておいてあったの思い出します。
ある農家では、卵の殻は細かく割って生ごみに入れていました。
今、我が家でも、卵の殻は生ごみに入れています。堆肥状態になっても殻はまだ残っていますが、畑に撒いて耕運機で砕いてやると、あっという間になくなります。
そんな卵の殻がなぜ可燃物なんでしょう。
どうやら、その自治体では生ごみから液肥を作っているようです。
手早く液肥にするには、卵の殻は邪魔なんでしょうね。
液肥を作る工場の都合では、卵の殻は生ごみではなく可燃ごみになる。
でも卵の殻は、ちゃんと時間をかけてあげれば自然の循環の中で役に立つのになぁと思うのです。
大体、どうして生ごみをたい肥ではなく、わざわざ液肥にしないといけないのでしょう。
きっと、各家庭でたい肥を作るような環境がなくなり、たくさん出る生ごみを手早く肥料にするには、液肥なのかもしれませんね。そして、その時に邪魔な卵の殻は、可燃物にする。

私があれっ?と思うのは、この考え方なんです。
「限りある資源を有効に使うためです」と言われて、なんとなく納得するような気もしますが、卵の殻だって有効な資源ですよね。
有効な資源の基準が、こちらの都合というか、工場の都合で変わっていくことに、あれっ?と思ってしまうんです。

そんな風にあれっ?思うようなことをしなければいけないのは、自分の目の届く範囲で自然の循環を生むことができなくなった暮らし方をしているからですよね。

やはりどう考えても日本のSDGsは、暮らし方をもう少し質素にしていくことを考えなくてはいけないのではないでしょうか。
自分の生活が、自然の循環の中にどれだけ溶け込んでいるかなのではないでしょうか。
今、大都市の生活はあまりにも自然の循環からかけ離れてしまい、すでに、その暮らし方を科学の力で自然の循環に溶け込ませようとしても、無理がある状況になってしまっているように思えてならないのです。

そのようなことを、もっともっと皆さんのお話を伺って考えたいと思っています。
みなさんもそうは思いませんか?


自分たちの暮らしをいかにしたら、この地球を緑のまま、次世代の子どもたちに残していけるのか。

自分たちの暮らしをいかにしたら、子どもたちが生き生きと生き、そして成長していけるのか。

自分たちの暮らしをいかにしたら、上記ふたつのことを成就できるような、新しい産業や、社会の仕組みを作りあげることができるのか。
この新しい産業や社会の仕組みというのは、AIや、新しい技術という意味ではなく、地域が地域として生きていた頃の仕組みを再構築するという発想です。

こんなことは、研究のデータや、数字では作り上げられません。
もちろんデータは大切です。
それをもとに、皆さんの思いをかぶせ、新しい発想を生み出さないといけないのです。
みなさんひとりひとりの思いを語り合い、その思いをいかに自分たちの暮らしにつなげていくかを、もっともっと話し合いたいと思っています。