
1月3日 第889回 道草寄り道気まぐれラジオ
『楽しく生きよう』
今年あたりから、少し考え方を改めませんか?
生きる力というのは、力を手に入れるということですよね。
生きる力を手に入れる。
力はなぜ手に入れるのでしょう?
生きるために?
では、何のために生きるのでしょう?
なんか禅問答のようですが、禅問答なんです。
生きる力を手に入れましょうといっても、なかなかその言葉にリアリティがなく、社会的に大切なことだと認知されないのはなぜでしょう。
何度も、どこででも言いますが、教育というのは学校だけでするものではありません。
どこぞの党が、教育の無償とかを公約に掲げていますが、これは学校教育の無償かであって、教育の無償かではないですよね。
社会教育も無償化してくれるなら、合意しますが。
家庭教育はもともと無償でしょうから。
なんで唐突にこんな話題を振るかというと、生きる力というのは学校教育が中心に据えるべきものではないと思うからです。
社会教育ででこそ、中核に据えるべきものなのではないでしょうか。
ただ、力を手に入れようというニュアンスは、何かと対立したり、どちらが強いかを競ったり、誇示したりするようなイメージが付いて回ると思うのです。
どうですか?
話が始めに戻ります。
その力、すなわち生きる力を手に入れただどうなるの?
いったい何が言いたいの…
そう、生きる力という看板下ろしませんか?
その代わり、【生きる楽しさを知る】とか、【楽しい生き方を手に入れる】としたらいかがでしょう?
自分自身がいろいろな生きる術を手に入れ、いろいろなことを自分でできるようになると、生活が楽しくなる。すべからく楽しい生き方ができる。生きるのが楽しくなるというわけです。
だから、生活をするうえで、自分でできることを増やしていこう。
おうちの中で、棚が作れるとか。
もちろん料理ができるとか。
できれば野菜を育てるとか。
魚釣って、さばいて食べられるとか。
もっとできれば、鶏を飼って卵を手に入れるとか。
そういうことって、自分で手を動かして、時間をかけてしないといけないことばかり。
そう、生活するために、生きるために、自分の時間を使って、自分の手を使っていくということなのです。
そして、小さい時からそのようなことをしていると、生きていることが楽しくなるのではないでしょうか。
自信をもって生きることができるのではないでしょうか。
そんな子供の目は輝いているのではないでしょうか。
と、いうわけで、今年も、輝く瞳の子どもたちを探していきたいと思っています。
生きる力って何のために手に入れるのかな…
ちょっとだけ披露します。
自分で育てた大根で、鳥大根煮つけました。
自分で作ったのは大根だけ。
鳥肉も、醤油も買ってきました。これぐらいが私は楽しい。
