20240918肩書を捨てたわけは
桜井義維英
皆さんこんにちは。9月18日第842回道草寄り道気まぐれラジオです。先日、 ある人に『櫻井さん、リタイアしたの早かったですよね。どうしてそんなに早くリタイアしたんですか。』と聞かれました。
『うーん、そうですね。ま、色々してね、この辺でいいかなと思ったんです。』と曖昧な答え方をしました。
後でね、なんで早めにリタイアしたかちゃんと話さないといけなかったなって反省しました。遅まきながら、ここでちゃんとお話しますね。
理由の1つ目が、 国際自然大学校に戻らない方がいいと思ったからです。最後は国立ア青少年交流の家の所長をしてましたから、
そこを終えた後、国際自然大学校に戻ることはできたと思います。一応、創業者ですから。 でもね、戻れば1つ席が塞がりますよね。若い人が目指している席を塞ぐことになるんですよね。
経済的にも圧迫することになります。若い人が国際自然大学校で頑張ってほしくて、戻らない選択をしました。
もう1つ、こちらの方が私にとっての挑戦でした。
ずっと肩書きを持って仕事をしてきました。
結構いい肩書。例えば、国際自然大学校の副校長を振り出しに、自然体験活動推進協議会の事務局長、 千葉県立大房岬少年自然の家の所長、国立青少年交流の家の所長。それで、1回リタイアした後、あしなが育英会の事務局長なんて肩書きを持ちましたからね。そんな中で、いろんなお仕事をさせてもらいました。
ある時ね、講演の依頼をされたんですよ。謝金、交通費込み1万円。
国立の所長の時の話なんですけどね、国立の所長のは規定でそういう謝金になる
みたいでした。しかしね、私が講演した時、もう1人お話をする人がいました。誰とは申しませんが、 そちらはね、借金30万円。
話の内容は絶対私の方がよかったと自信があります。
しかし、30万と1万。これは、その話の内容に払われたのではなくて、
肩書きに支払われたんですね。すっごい腹が立ちました。そこで国立の所長を辞めた時、 肩書きなしで桜井義維英という人格で勝負してみたいって思ったんです。
世の中そんなに甘くないということはよくわかった上でのチャレンジでしたよ。しかし今、その思いとは裏腹に走林社中主宰者という肩書きを持ってしまっています。走林社中はね、 10年を期限のプロジェクトですし、若い人に乞われてチャレンジしていますので、あと2年半、 もうちょっと肩書き持ったまんまいようかなと思いますけども、そのあともう1度肩書きなしに戻って頑張ってみようかなと思っています。
もう1つね、早期に、リタイアしたわけがあるんですけれども、 それは、もう少したったら、お話しましょう。あと、1年か、2年や10年かわかりませんが、その時が来たら、お話ししようと思います。
それでは、今日は、この辺で。
肩書を捨てたはずなのですが、今は【走林社中 主宰者】という肩書です。
そして、名刺も持っています。今はこの3種類の名刺です。